もしも朝の目覚めがなかったら?



春うらら。
草木も芽を出し、土筆も顔を出し始めました。
変化を教えてくれる梅も綺麗にあちらこちらで開花しています。


一日、一日朝がきて微睡の時間を過ごしてむっくり起き上がる。
当たり前の事ですが日々の小さな哲学がここに隠れています。
それも無意識にやり過ごしてしまっていて。


もっともっと大きな視点で観てみると
全宇宙から見ると世界がうなり声をあげて目覚め、氷が割れ
土のなかで眠っていた者たちが動き出して産声をあげています。


そうした全宇宙のリズムを採りいれて、世界の光が再び
戻ってきたことを荘厳に讃えるのです。


でも私たちは私たちなりに(本当に私たちなりに!)小さくとも
目覚めるという行為によって、一年ごとに繰り返される宇宙の死と再生を
一日ごとに繰り返しているわけなんですね。


シェイクスピアは
「眠りはたんに死に似ているのではなく、死の複製、あるいは少なくともスパイである。」
だから敬意と畏怖をもって扱ったほうがいい、と。


平易な言葉にすると寝ることは「生と死」の関係の縮図。
眠ることは死ぬことに似ており、目覚めることは誕生あるいは復活に似ている。
この行為において、意識と存在がじかに出会う。


目覚めているのが勤勉であるということは眠ることや怠けることよりも
格上に見られているような風潮があるようだけれど
睡眠をとらずに、確保もせずに起きつづけて何を私たちは
待っているのでしょうか??


今一度、そこを意識化してみると
働き方、暮らし方の新しい切り口が見えてくるかもしれませんね。


参考図書:ソクラテスと朝食を〜日常生活を哲学する

光