「文化を超えて」〜隠れた文化と融和を

日々の情報に翻弄されている私たち。
ここ数年、情報に敏感にもなってきているようにも感じます。

目の前の情報が事実と思い込んで何かしらの「破壊」に
加担してしまっているというのも違う側面から見た事実です。

「オカシイ」「違う」という証拠が山ほどあるのを分かっているのに。
小さく、個室に籠って分断されていることにも気がつかずに。
自分たちが創ってきた古い制度と古い文化を手放すことが
出来ないとわかっているのに。

情報を伝えるための言語と経験の関係は
どんなものなのでしょうか?

言語は形式的に完全なもの。
そして言語の内に隠れている期待を無意識に
経験の領域に自分たちで投影してしまって。

最終的には言語は経験を自然と規定してしまう。

私たちの思考の中に脈々とパターン化されているので
「異なる」ものを自然と排除する力を出してしまうのですね。


これでいいと、これで合っていると思い込んでいる文化とは
非常に異なる文化と接する機会に恵まれなければ
ここには気がつかないのではないでしょうか。

「それは無理」
「やってもしょうがない」

直ぐにこんな言葉が脳裏を走るのであれば
この見えないバイヤスがかかっている証拠ですね。

文化とは
・生得的なものではなく学習されたもの
・相互の関係し合っていること
・一つの集団に共通しておりその結果異なる諸集団を区別していること

エドワード・T・ホール著「文化を超えて」
では上記の3つに分類しています。

モデル化するのが上手な私たち。
そしてそれを連ねており重ねて一つのものに
見せるのもお手の物です。

ではここでもう一度「文化」「コミュニティ」とは何かを考える
時間を設けてもいいかもしれませんね。

古くて新しいエドワード・T・ホールに触れて
自分のバイヤスを緩めてみませんか?

春の風とともに何かの芽吹きが起こるかもしれませんね。