陰翳礼讃から学ぶ夏へ〜東洋の神秘「無」

 「人はあの冷たく滑かなるものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が
 一個の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない
 羊羹でも味に異様な深みが添わるように思う」

東洋と西洋の本質的な相違に着目した「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」
谷崎潤一郎著 のあまりにも有名な一文です。

明かりの「有り様」を、そして光と光があたらない陰の「調合」を
そしてその静かな空間に「羊羹」という塊を差し込んだ陰翳の芸術作品ですね。

この夏の課題である「節電」
日本の中で東と西でワット数が違うために意識が1つにならないというジレンマを
抱えつつ成し遂げていかないと・・・。

文豪 谷崎潤一郎曰く・・・

「どうも近頃の我々は電燈に麻痺して、照明の過剰から起こる不便という
ことに対しては案外無感覚になっているらしい」

「元来室内の燈し火は夏は幾らか暗くすべきである。
その方が冷涼の気を催すし、第一虫が飛んでこない。
然るに余計に電燈をつけ、扇風機を廻すのは考えただけで煩わしい」

「だから私は自分の家で四方の雨戸を開け放って真っ暗な中に
蚊帳を吊ってころがっているのが涼を納れる(いれる)最上の法だと心得ている」

はい、少々ご立腹です・・・。

単純にただ、暗くするのではなく今までの東洋的な生活空間には
陰翳があったということを思い出さなければいけません。

日本座敷1つとっても清楚な木材と壁とを以て一つの凹んだ
空間を仕切ったり、活花(いけばな)を活ける場所を空の中で
選択したり、違い棚の少しの闇を美と捉えたりと。

水の中に突然小石を投げ込む前の静かな「無」に対して
もっと目を向けたらどうかとも伝えてくれているようにも感じます。

お着物一つとっても陰翳の作用が働いています。
全体は長い袂(たもと)や長い裾(すそ)で手足を隅へ陰へ
そして首だけを際立って一筋の光をあてるという無の中の美を創造しているのです。

「無」とは?何もしないこと?

「東洋人の精神的若くして道徳的と云うのは果たして何を意味するのか?
東洋人は浮世を捨てて山の中へ隠遁(いんとん)し、独り瞑想に耽っているようなものを
聖人と云い、高潔の士と云う。」

西洋的な考えだとこれは「何もしないでいること」「怠けている」とも見えてしまうようです。

独り一人が持っている「無」を自分の「山の中」に探しにいく。
「無」を感じ取る、そんな夏になればいいのでしょうか。

文豪からのメッセージ。
夏休みの宿題、次は夏目先生にいこうかな。


灯り