「遊びと人間」 ロジェ・カイヨウ

突然ですが、皆さん「遊んでいますか?」

う〜ん、そうだなぁ、最近遊んでいないなぁ。
いや、たっぷり遊んでいるよ。

と、いろいろな声が飛んできそうですね。

では「遊びに価値はあるのでしょうか?」

こちらの問いも賛否両論な意見があるかと思います。

遊んでなんかいられないよ!
とお叱りを受けるかもしれません。

と、その「遊び」に焦点をあて、文化の発達まで
考察したロジェ・カイヨウ(仏)著の本をご紹介します。

少しは憤りがおさまるかもしれません(笑)

そもそもの「遊び」の位置づけを
「夢・詩・神話とともに、遊びによって超現実の世界を創る」
としています。

「遊び」・・・それは動きの自由、運動のなめらかさ、過度にわたらぬ有益な
自由という概念を喚起するものとも。

歯車と歯車の噛みあい、言葉の余白、能力の糊しろ、時間の隙間
あらあら、実は身近なところにあるものですね。

びっしりと詰まった本棚よりちょっと緩んでいる本棚のほうが
なぜか魅力的ではないですか?

アートの世界であっても遠近法なんて遊びそのもの。
彫刻、音楽、舞踊だって同じ。

その中から約束ごとが生まれ習慣化されて
「遊び」を観ることを忘れているのかもしれませんね。

ロジェ・カイヨウが「遊びの活動」を定義しています。

ー由な活動 
  遊戯者が強制されないこと
隔離された活動 
  明確な空間と時間の範囲内に制限されていること
Lこ猟蠅奮萋亜
  先に結果が分かる事はない
と鸚源催な活動 
  財産も富も、新要素を作り出さないこと
サ則のある活動 
  新たな法を確立し、約束ごとに従う活動
Φ構の活動 
  二次的な現実、明白に非現実であるということ

これはいろいろな場面で十分置き換えられますね。

ところが、遊びにも実は欠陥が・・・。

非現実的がゆえ、選択された条件というのは必然的に抽象的になる。
遊戯者たちの身の丈の虚構になりかねないということ。
現実はこうした手心を加えてはくれない。

ここをどう乗り越えるかが「創造性」に向かうかどうかにかかるようです。

その虚構にならないためには・・・・

固有の領域を占めているものの、その内容は変わりやすく
時には日常生活の内容とも交感可能。
「遊び」という行為の特殊な性格を決定すること。
子供だけのためではないことを理解すること。

常にポケットには入れておきたい「遊び」。
まずは個々の持っている「遊び」を理解してから
横に手を繋ぎ大きな「遊び」に想いを馳せることが
いいのかもしれません。

「遊び」を4つに分類し
社会に訴求できるためには?
教育にどう対応できるか?
などなど、面白い視点で小旅行ができる一冊です。